新卒で入社した会社を退職しました

こんにちは、おてらです。

所謂退職エントリというやつです。
特に世間に伝えたいことがあるから書くわけでもなく、完全に個人の記録として書きます。

せっかく転職するので1回は書いてみたかった。
いろいろ書いてたら長くなった。

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入社まで

タイトルの通り新卒で入社した会社なんだけど、就活をしていた当時の求人では当時結構流行っていた某アプリの開発をしている、ということで「これは!」と思い応募したのを覚えている。

しかしながらグループ全体での採用で且つ採用後はどの会社に配属されるかは分からない、といった内容だったので騙された感は正直ありました。まぁ自分が求人情報をしっかり把握していなかったのが悪いんだけど。

何だかんだで無事?入社し、「新卒の技術職採用は今年度が初めてです」って言われた時には「え、まじで?アプリ開発してる会社だよね…?」と思い不安に駆られた。

結局のところ、ゴリゴリの営業会社だった。
地方の大学で就活してたから東京の技術系の企業のリサーチ不足だったのと、そもそも就活と卒論を両立するのがかなりきつかった記憶がある。

1年目

入社して1ヵ月間は新卒全員で研修。ビジネスマナーに始まり各営業部がどんな商材を販売していてどのように業務を行っているかの勉強。
研修の中には「HTML書いてみよう」とか「TCP/IPとは」みたいな技術寄りの内容もありましたが大学で勉強していたのでほぼ意味なし。というか「これが企業の研修なのか…?」って感じ。

5月になりいよいよ本配属されたわけですが、私が配属されたのはなんとコールセンター。
自社が提供する保守サービスのサポートをする部署に配属されてしまった。アプリ開発どこ行った。

こうしてめでたくコールセンターでの業務が始まった訳ですが、コールセンターって聞くと面倒な顧客のクレーム対応だったり理不尽な問合せだったりメンタルやられたりっていいことなさそうですよね。
実際いいことはなかった。
いや、あえて1つだけ挙げるとするならば、クソみたいな客に対する耐性がついたってことですかね。

いるんですよねほんとにこういう人↓

  • 開口一番、社名を名乗らず「さっき問い合わせた件どうなってんだ?」
  • 「障害の原因が分かるまでこの電話つないどけ」
  • お客の設定ミスが原因なのに「こっちは何もやってない、そっちが悪い、何とかしろ」
  • 手順書を渡してるのに読まずにやる、手順書通りにやらない

本当にあんたたちは私より社会人経験の長い先輩でいらっしゃるのかと言いたくなるような問い合わせはゴマンと受けてきた。
この経験があったからクソ客耐性は結構ついた気がする。あと電話での言葉遣い。

1年目の夏にはサーバの運用保守チームに異動になったんだけど、そっちに移動してからの方が大分マシな経験が積めた。
ただ、このチームは20代の人間は自分しかおらず、次に若い人ですら40歳で、本当にジェネレーションギャップというか話が合わないし自分にとっては過酷な環境だった。

ちなみに下半期くらいから営業部に配属された同期がほぼ毎週のように退職していった思い出がある。
毎週退職者の報告で同期の名前が呼ばれるのはなかなかに辛いものがあった。

2年目

1年目の夏に異動したサーバ運用保守チームでの業務が続く。
サーバの運用保守チームでは以下の業務を担当していた。

  • Linuxサーバの構築(CentOS)
  • データセンターでの設置
  • 監視、障害対応
  • 夜間メンテ作業 etc.

一応自社で提供しているサービスが稼働しているサーバで、トータルで数百台はあった。
衝撃だったのはその古さです。私が中学生だった頃から動き続けてるサーバがちらほら…。uptime 3700日とかやばい以外の言葉が見つからない。

そんな古い古いサーバたちのお守りを2年目は行っていました。ここでLinuxに関する知識がグーっと増えていった。

2年目はとにかく目の前のことを覚えることで精一杯だったので特に面白みはなくあっという間に過ぎて行った。

この1年でも営業部に配属された同期は光の速さで辞めていく。ゴリゴリの体育会系営業会社というのが退職の主な理由なのは聞くまでもなかった。

3年目

相変わらずサーバの保守運用を行っていた訳ですが、如何せん「枯れた技術」の集合体で、真新しい技術に触れられる機会はほとんどなかった。

この頃までは絶望的に「これをやった」と言えるような実績はなかったんだけど、1つ挙げるならば老朽化した大量のバックアップサーバのリプレイスプロジェクトを任されてそれをこなしたくらいだろうか。

3年目にもなると自社のサーバのことは大体分かるようになったし、社内からも結構頼られるようになったので仕事としてはそこそこの充実感はあった。
ただしそれはあくまでも「社内でのスキル」であって世間一般的な「エンジニアのスキル」ではないことにこの時は目を背けていました。(薄々感じてはいた。)

4年目

4年目の春に昇進しました。
確か自部署のシニアマネージャーとMTGをしているときにちょうど4月に別部署に異動した元上司から「おてらくん、昇進おめでとう」と声を掛けられ、直属の上司から知らされるよりも早く自分の昇進を知りました。

自分で言うのもなんだけど、学生時代から先輩からは割と好かれるタイプの人間なので上司やチームのメンバーにはかなりかわいがって貰ってました。
あと「おてらくん以外おじさんばっかでなかなか言いにくいこともあると思うけど、遠慮しないでドンドン言ってね」と言われていたので割とガンガン言いたいことは言ってきてやってきたのでその辺も評価されたのかなと個人的には思っています。

 

業務的な話だと、自社サービスを協力会社に完全に譲渡することが決定し、その際に顧客(顧客数は1000社オーバー)が利用している老朽化したサーバ(トータル500~600台くらい)を全てリプレイスするプロジェクトが立ち上がって主要メンバーにアサインされた。文字通り「全台」だ。
最終的にこのプロジェクトの完了には丸々1年以上かかった訳だけど、本当に辛かった。

譲渡先の協力会社とのキックオフ、プロジェクトの進め方、顧客への通知・フォロー・説明・クレーム対応、自社の営業部門への周知、リプレイス先のサーバへのデータ移行、動作確認、切替タイミングの調整、切替作業、切替後のフォロー、本当に1から100まで全部こなしました。地獄のような日々でした。

中には10年以上使い続けていてコンテンツが古くなっており、リプレイス先のサーバでは色々なミドルウェアのバージョンが合わずにサイトやシステムが動かなくなる顧客も当然いる訳で、そういった顧客から「おたくの都合で何でウチがデータを修正しなきゃならんのだ、修正に必要な費用はおたくが持つのが筋だろう」とか平気で言われたりもしました。
10年間メンテせずに使い続けてる顧客にも責任がないわけではないと言いたい気持ちはあったが、こちらも私が入社する前から存在するサーバでの話なので「目くそ鼻くそだな」と思うようにした。

この頃から「この会社で今の業務を続けていっても技術的にスキルを得られることはない」という焦りが生まれてきた。
ただ、この時の上司が以前自分で会社をやっていた人間(つまり元社長)で、技術的にも社会人的にも高いスキルを持っていたので、新しい技術についてキャッチアップしたら上司と話したり試したりしていた。

5年目

いよいよサーバリプレイスのプロジェクトも大詰めになり、協力会社へのサービス譲渡も間近に迫ってきた。
どう頑張ってもリプレイス出来ない顧客は一定数必ずいるもので、そういった顧客は譲渡先のお偉いさんが客先に出向いて説明したり、個別にリプレイスしてくれる外注を探したりして対応した。この辺りも社会人経験としてはいい経験を積めたと思う。

5年目の初夏にこのプロジェクトは終わりを迎えました。
リプレイスできなかった顧客は何社かいたものの、数百社の顧客と数百台のサーバをほぼほぼリプレイスしたという経験と実績はなかなか得る機会はないと思った。

 

このプロジェクトが終わったらやることなくなるのでは?と薄々思っていたけど、我々のチームはSIチックな業務を行う部署へ吸収された。
そこは、1年前に「おてらくん、昇進おめでとう」と声をかけてくれた元上司が率いる部署だった。

吸収されてからはガラリと業務が変わり、初めてAWSを触った。

確かこの頃は(アフィ)ブロガー全盛期くらいの頃で、上司も個人的にWordPressを立てて記事を書いていた。
それを真似て私もEC2にWordPressを入れたり色々いじるようになり、私が3年目の時に入社してきた中途社員の人の勧めもあり、connpassなどでの勉強会に参加するようになった。

ここから私の価値観が一気に変わってきた。

勉強会に参加して衝撃を受けたのは、当時の自分(27歳)よりも年下の人がプロダクトを作りLTしているという事実。
これは本格的に自分やばいなと思うには十分すぎる切っ掛けだった。

そこから週1くらいの頻度で勉強会に行ったり、AWS Summit Tokyo や Developers Summit にも参加するようになり、外の世界のエンジニアに触れる機会を増やしました。
それと同時に3年目の自分は目を背けていた「この会社にいてはダメだ」という気持ちが明確になり、転職することを決め、転職活動を始めた。

 

1年ほど前に同じチームに中途社員が加わったのですが、その人がめちゃくちゃ優秀なエンジニアで、FWやネットワークのインフラ周りはもちろん、WebサーバやDBにも詳しくてほぼほぼフルスタックエンジニアのような方でした。本人もフルスタックを目指していると言ってたし。
そしてその人は1年もしないうちに辞めていきました。「この会社にいても得るものはない」とバッサリ言い残して。

 

そしてその人からオススメされた転職サイトやエージェントを利用して結構な数の面接を受けた。
当然現職を辞めてはいないので業務終了後に面接させてもらってました。

当時の自分には自社でのみ通用するスキルしかないんじゃないかと思うくらいエンジニアとして出来ることは少なかったと思う。
ただ、そんな自分でもやはりまだ20代ということで、あまり実務の経験がなくてもポテンシャル採用の枠で面接を突破できるケースは多かった。

結果的に2社から内定をもらい、どっちに行くかを検討していたところ、上司と更に部長に食事に誘われました。当然、私が転職活動をしていることを察してのことだった。

お分かりの通りその食事会は私の引き留めのためのもので、

  • 会社の方向性のこと
  • 組織の体制のこと
  • 今後の業務のこと
  • 給料のこと

の4つを主に聞かせてもらい、「おてらくんにはまだ残っていてもらいたい、今いなくなられたらめちゃくちゃ困る。来期からはおてらくんのやりたいことをやってもらう。」と言ってもらえた。

正直、当時の自分は焦ってはいたし、会社のことはめちゃくちゃ嫌いだった。だた、所属している部署や上司含めたメンバーのみんなはとてもいい人ばかりで好きだったし、この年から業務でAWSも触れるようになったので、あとは給料という条件さえよければ残ってもいいかなと思ってもいた。

結局、翌年4月から給与テーブルのグレードを1つ上げ、年収を40~50万円ほど上げるという話で着地し、残留を決めた。
※余談だけど現職の場合、退職すると言って給与を吊り上げて残留する人は営業部にはたくさんいて、成績優秀な営業マンは大体この手法で残留している。あくまでも現職の場合。
3,4ヵ月くらい手厚くサポートしてくれた転職エージェントに現職に残留することを報告したらめちゃくちゃ「転職した方がいいですよ!後悔しますよ!」と必死だったので結構申し訳ない気持ちもあった。

6年目、7年目(昨年度)

転職せずに残留を決めて迎えた6年目の4月、部長の宣言通り給与テーブルは上がり、開発チームとしてスタートした。
メンバーは今までサーバの運用をやっていた私ともう1人、そして開発チームとして立ち上げるにあたり採用したもう1人と直属の上司の4人というチーム。

ここでPython / Djangoを使うようになった。

正直元々いた3人は開発なんてやったことがない人間だったので、みんなで研修に行ったりして知識をつけ、実際にデモアプリをみんなで作ったりかなりお粗末なチームだったけれども何とか初案件をDjangoで開発、納品できたことでやっとエンジニアとしてスタートを切れた感じがした。

そこからは新たな案件にメイン担当としてアサインされて顧客先に訪問して顧客の要望をヒアリングしたり、ディレクションしたり、コード書いたりと大変ながらも本来やりたかった仕事が出来て楽しかった。入社6年目にしてようやくやりたかったことが少しやれた。とてつもなく長かった。

この2年間は本当に色々な技術に触れられた。Python / Djangoはもちろん、PHP、Javascript、AWS、GCP、Azure、Heroku、サーバレスアーキテクチャ、SPA、Gitなどなど。自部署にSlackも導入されたし今までの5年間は何だったのかと言わんばかりにこの2年で劇的に変化した。

だけど変わらなかったものもある。会社だ。
ここでいう会社とは私が所属している団体という意味ではなく、会社の方針や文化、制度のことである。

冒頭でちょろっと触れたけど、ゴリゴリの営業会社である。そんな会社の中にどうしてこの部署が存在しているのか甚だ疑問ではあるけども、5年目が終わるまでは会社としてもウチの部署は割と重要な部署である認識は持っていて、「ウチは技術の会社だ、技術力で食っていく」と言い張っていた。(なお会社の業種は「卸売り」に属する。技術の会社とは一体…。)
また、他の営業の部署と比べて少ない人数の組織だったけど、単価的に高い商材というか仕事をしているので売上や利益率はよその営業部と同等かそれ以上の水準を維持している、そんな部署だった。

 

ところが7年目を迎えた昨年度の4月、社長からそれまでとは全く逆のことが告げられた。

「技術力で食っていく」のではなく「卸売りで食っていく」ことを全社員に向けて公言した。

元々会社の文化的に営業至上主義でありエンジニアやバックオフィスの面々は相当に報われない職種だった。まぁ私の部署ともう1つの部署の部長を除いて管理職以上の人間は全員営業出身の人間なのでそれらの職種に理解がないと言えば当然ではある。

この発言を発端に社内は軽くざわついた。

特に私の部署のメンバーやマーケティングなどを担当している部署の先輩、別部署のエンジニアの同僚はほとほと会社に愛想を尽かしたようだった。

ほとんど上がらない給料、それに不満を持ち次々に辞めていく中堅社員、しわ寄せを食らい疲弊していく若手社員、中堅社員が辞めていくので後任を育てきれず居座り続ける管理職、成長しない事業、変わらない制度、それにより中堅どころまで成長した若手社員が再び辞めていく、このサイクルが正直言ってここ4年はずっと続いている。

何もかもが噛み合ってないので私は再び辞める決心をした。ここからの展開は早かった。

社長の発言から1ヶ月ほど経った頃、仲のいい同僚と話していると、私を含め6人中5人は転職を考えていて、更に2人は既に転職先の候補が見つかっていた。
後にもう1人もすぐにとある会社から声をかけられるようになる。

私と言うと、具体的な転職活動に至る前に部長から声がかかり、転職を考えていることを話したが部長も「そりゃそうだよね」くらいの感じで特に引き留められることもなく、むしろ応援してくれるレベルだった。
ここは詳しくは話せないけどとんとん拍子で次の転職先が決まった。
夏ごろに転職先の方と出会い、取締役の方と何度か食事に行かせてもらい、お互いの業務の都合もあってちょっと時間が空いたりもしたけど最終的に秋には入社が決定した。

去年の10月には抱えている案件はほぼ消化して12月ないしは1月にでも次の職場で働きたかったけども、直属の上司から「3月いっぱいまではいて欲しい」と言われ、転職先にも相談したところ、「入社日は希望に沿いますよ」と快諾してくれたので3月までは残留することとなった。

 

ほぼほぼやることがなくなった年の瀬だったけど、営業の1人が案件を受注してきたのでその案件にアサインされ、年明けからはその案件に携わっている。
幸いにもSPAでのアプリケーション開発だったし、次の職場でも利用している Vue.js や Nuxt.js を使うことになったのでそういう意味では有意義な案件となった。
開発スパンの長い案件なので完遂する前に退職してしまうことになって申し訳ない気持ちもあるが、この仕事が新卒で入社した会社での最後の仕事だった。

退職を決めるに至るまで

大体の理由は既に述べたけども、まとめると以下のようになる。

給与面

まず第一にこれがくる。

ひたすらに昇給しない。7年努めても昇進しても1年目と比べて月給は5万円も増えてない。
要因としては

  • 新卒入社なので給与テーブルは最低レンジからのスタート
  • 営業会社なので営業への還元が最優先される
  • 管理職の9割が営業出身の人間
  • 技術職の評価体系がガバガバ

こんなところだろうか。

外の世界のエンジニアの会話だと「20代後半で年収500万円は普通」という声もよく聞くし、ネットでは「エンジニアが年収を上げるには転職しかない」という話もよく見る。
この会社にいてもずっとこんな昇給率なんだろうなと思うと早く辞めるに越したことはない。

変わらない企業文化・営業至上主義

営業会社なら大抵の会社でやってるんだと思うけど、毎朝の営業部の朝礼が本当にムリだった。

最初の方は「うわー体育会系だ~」って感じで何ていうか新鮮なものを見る気持ちだったので3,4年目くらいまでは何とか受け入れていた。
しかし、座席変更で営業部の隣の島とかになった時には朝9:00からハチャメチャな大声で数字の報告や今日の行動について営業部内で共有したり、1人1人が盛り上げ役でお笑い芸人のネタを模倣したりと見る・聞くに堪えない地獄が待っていた。

この周りへの配慮が一切ない朝礼をこの会社では「文化」と称し、「文化だからやめるつもりはない」と上層部も頑なだった。

文化なら何してもいいのか?という疑問はさておき、周りの部署の人間がお客様と電話をしていようが、エンジニアが朝一で打ち合わせしていようがお構いなしに大声を出し続けることが文化ならば、その文化を大事にする会社は結構です、という気持ちになった。

まぁ案件を取ってくる営業がいてこそ(この会社の)ビジネスが回っている以上、営業に対して手厚くなるのは理解できるが、営業が取ってきた案件を無事に納めるのはサーバやアプリケーションやネットワークを構築するエンジニアだったり管理系の業務を行うバックオフィスの人間の力も必要なわけで、その辺に対する経営層の考え方が7年の間変わったようには思えなかった。

今後のキャリアパスを考えた

何度も述べてきたけどこの会社では今後技術的な研鑽を積むことはできないと思ったのも大きな理由の1つだ。

直近2年でAWSを触れる環境になったのはありがたかったけども、やってきたことはほとんどがEC2でサーバを立ててそこにアプリケーションをデプロイして顧客に引き渡す、といったことなので、オンプレやVMとやっていることは対して変わらない。プラットフォームがAWSになっただけだ。
多少サーバレスやオートスケーリングなどクラウド特有の機能も扱ったりしたけど。

そういう意味ではこの会社にいても今後数年は同じようなことが続くと思ったので、これからエンジニアとして生きていく上で必要な経験を積むためには、もっと開発をメインに、さらに言えば自社でサービスを提供しているような別の会社に行くしかないと考えた。

最後に

これまで散々会社に対する負の側面しか書いてこなかったけど、もちろんいいこともあった。

基本的にいい人(仕事がデキる人という意味ではない)が多くて人間関係で辟易したことは1回くらいしかなかった。マジモンのクソ野郎(端的にいうと嘘をつく人)が1人いてその人は本当に人生において最も嫌いな人なんだけどそれはまた別のお話。

特にエンジニア周囲の人たちは話が合うし、バックオフィスの面々も業務上で何度か関わりを持っただけの自分に結構声をかけてくれたり、ご飯に誘っていただいたり仲良くしてもらった。

あとは新卒時代に一瞬だけ教育してくれたマネージャー(部署は違う)なんかは今になっても声をかけてくれるし、退職が迫った先日、帰りのエレベーターで久々に一緒になり、「辞めるんだって?お前ならどこ行っても大丈夫だよ。それにしても本当に成長したよ~」と言われながら握手された。

まぁ社交辞令的な挨拶かもしれないけどそう言われた事自体は嬉しかったし、退職の実感が湧いた。かといって悲しいという気持ちはまるで湧かなかった。

 

会社というのは個の集団で成り立っており、個で見ればいい人が多いのにその集団である会社はなぜこんなにもクソなんだろうかと思うことがあるが、結局はいくら現場の人間がいい人たちであってもそれを束ねる経営層に現場を顧みる人がいなければ意味はないんだなということがよく分かった。

 

4月から新しい会社で働き始めているわけだけど、今の所前の会社よりも悪いところが1つもなくて転職してよかったと心から思う。
転職先の話はまた別の機会に。

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